テレビの中では、小学6年生の少年が、5人の弟妹のために奔走していた。
世間は「ヤングケアラーだ」「親がけしからん」と、正義の火を焚べて盛り上がっている。
だが私は、その熱狂から遠く離れた場所で、自販機で買い間違えたアイスコーヒーのように、芯から冷え切った心地でそれを見ていた。
「かわいそう」? そんな安っぽい言葉で、あの少年の人生を括ってくれるな。
お前らに、分かるか。
家族という名の「呪縛」を首に巻かれ、自分の意志とは無関係に「大人」の役割を演じさせられる者の絶望が。
私は、三男であり、実質的な長男でもある。
父の前妻との間に生まれた双子の兄たち。そこに後妻として嫁いだ母から生まれたのが、私だ。
戸籍上は三男。だが、微妙な血の繋がりがある兄たちとの間に横たわる、見えない断層。
母を守れるのは自分しかいないという、逃げ場のない自負。
私がかつて、雪の降る夜に「灯油代がない」と泣きついた母の尻拭いをし、名教師と謳われた父が垂れ流した借金の泥水をすすっていた時、誰一人として「かわいそう」などと言ってはくれなかった。
双子の兄という「完成された家族」の影で、私は誰にも代わってもらえない「長男」としての重圧だけを背負わされたのだ。
私は「強い男」を演じ続け、今は職場で「強い主任」を演じている。
世間が求める「虚像」に応えるために、指先が凍えるほど冷たいアイスコーヒーを、さも熱々のホットであるかのように、平然と飲み干してきた。
あの番組の少年も、今はまだ「優しいお兄ちゃん」という虚像の中にいる。
霜降り明星のせいやという男が放った「まだ大人になるなよ」という言葉だけが、唯一の救いだった。
それは「お前の実像を、誰かが見つけてやれ」という、祈りに似た叫びだったからだ。
だが現実は、番組が終わればまた、無慈悲に雪が降り積む。
少年はまた、自分の背丈に合わない大きなスコップを握り、家族という名の泥濘を除雪し続けるのだろう。
「家族は多様だ」と抜かす番組サイドの綺麗事も、「親を糾弾せよ」と騒ぐ外野の正義感も、私には等しく滑稽に見える。
どちらも、少年の靴の中に染み込んでいる冷たい雪水の温度には、一ミリも触れていないのだから。
今夜も、私は愛妻が調合した不味いエリクサーを飲み干す。
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鼻を突く酸味と苦味が、仮面の裏にある私の「実像」を呼び覚ます。
世間に擁護などされなくていい。
理解などされなくていい。 ただ、あの少年がいつか、誰の目も気にせずに「このアイスコーヒー、冷たくて飲めたもんじゃない」と吐き捨てられる場所を見つけられることを。

そしてその横に、毒にも薬にもなる不味いエリクサーを、黙って差し出してくれる誰かが現れることを。
天下布武ならぬ「頭頂部」との戦いに明け暮れる、しがない主任は、願わずにはいられないのだ。
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